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シンドラー工場:ゲットーでの生活

内部の展示

シンドラー工場の博物館にはゲットーでの生活を再現したものがあります。一瞬みて普通に生活できると思ってしまいますが、よくよく見ると一つの部屋には人が沢山います。それについての話になります。

1941年3月にクラクフのポドグジェ地区にゲットー(ユダヤ人隔離地域)が設置されました。ゲットーの面積は20ヘクタール(0,2平方キロ)しかなかったのです。そこには1941年3月まではおよそ3500人が住んでいました。建物は一階建てと2階建てのものが多くて320棟だけありました。一方、ゲットーが設置されたら、一万人以上の人がこの狭い地域に押し込まれました。ピーク時はゲットーの人口が1万8千人に上りました。ゲットーでの生活空間は劣悪でした。マンションひとつに家族が3組~5組も無理に済まされて、多くの場合初対面の人といきなり同じスペースをシェアーすることになりました。部屋の配分制度も決まっており、「一人当たりに2平方メートル」という当初の基準を「窓ひとつあたりに3人」に変更しました。スピルバーグ監督のシンドラーリストにもゲットーへ引越しの映像があります。既に満員となっている家に更に人が移住します。映画でありながら少しでもユダヤ人の大変な状況を語ってくれます。

引越し(シンドラーのリスト映画)

他人と部屋をシェアーすると喧嘩になることもあります。証言によればたまにとても些細なことで大問題になるということです。たとえば、次のようなばかばかしいことまでありました。冬になったら、ある家の住人はだれも薪など燃料を買って暖炉で内部を暖めようともしませんでした。他人にやってもらうと思っていたからです。しかし、全員同じ考えなので、ずっと寒さに苦しむ始末でした。不合理的な事例ですが、その家の住人たちは仲良く暮らしていなかったというふうに解釈できます。

カーテンで部屋を仕切る

知らない人同士が一緒に住むことになるとやはりプライバシーを少しでも作ることが大事でした。屏風、家具を使って部屋を仕切ったり、又は布のカーテンをかけたりするなどいろいろ工夫しました。

ゲットーは出入禁止でした。最初、外で仕事をするユダヤ人はは出入許可をもらって、朝仕事に出かけ、夜ゲットーへ戻るということでしたが、最終的には許可もなくして、警察官に護衛されながら強制労働にでかけることになりました。外部とのコンタクトが取れない(もちろん地下の連絡網はありましたが)、衛生状態が悪い、住む場所が狭い、食料がないという非常に悲惨な環境の中で、ユダヤ人はゲットーの前の生活を少しでも復活させようとしていました。職場、介護施設、病院、薬局、郵便局、浴場、商店やレストランなどが整備されました。地下の教室で秘密裏に教育を行い、地下のシナゴーグでこっそりお祈りをしていました。孤児、高齢者、病人、貧乏人ためにコンサートなどチャリティーイベントを定期的に開催して、寄付を募りました。これらの出来事は正常な生活のなんらかの代わりとなりました。


シンドラー工場について詳しく知りたいなら、是非日本語ツアーお申し込み下さい。